合格と不合格の差は勉強時間にある

今日から大学後期授業がスタートしました。司法試験対策に力を入れたい私としては恐怖の講義の始まりです。楽勝科目ならよいのですが、つまらん講義や厳しすぎる単位判定をする教員に当たるとやっかいです。今週はガイダンス中心なので予習等しなくて済むのが幸いです。

一般教養科目発達心理学」の教員が「お前らと東大生との差は知能指数じゃない。勉強時間の差だ。」と言ってました。事実その通りのようで、東大生の中にはIQ80台なんて人もいるそうです。私の大学ではIQ100前後で特に突出したIQの持ち主はいないと研究結果で出たというのです。

その教員に「司法試験についても勉強時間の差で成績の差が出るのか」と問うたところ、「その通り。いくら難しい試験といえども全く合格者がいない訳ではない。勉強方法につい目が行きがちだか、本質は時間と量の不足にある。」とのことでした。この言葉で私に気合いが入りました。択一で解けない問題があったりすると「なあにまだまだ慣れていないだけさ」と自分をごまかしていましたが、結局は勉強不足だということなのです。

司法試験といえども勉強時間をより多く取った者が合格する。この考え方だと方法論に逃げる自分から貪欲に時間を取って勉強する自分に変わることができそうです。落ちるのは勉強時間が足りないだけ。一見暴論のように聞こえるのですが、案外真実だったりしそうです。

こういう刺激的な先生がいると思えば、「契約法各論」の教員のようにごにょごにょ話しながら黒板に適当に書き写す辞めてほしい教員もいたりします。こういう科目は本来重要で、そのため配当単位も4単位と大きいのですが、教員の質でぼくにとっては勉強ペースメーカー的な意味合いしかなくなってしまうのです。もっとも私の大学では散々セクハラを続ける教員が複数おりまして、その所属はみな教育学部です。つまりセクハラの背景に教職科目の配当というパワーハラスメントを働かせているわけです。そんな学部はとっととつぶれてしまえばよいのにと思います。